不幸であろうか

先日夜、松井冬子さんの写る番組があるというので、TV前に座る。この人の作品は偶然見た日本画の今みたいなーそんな格好悪いキャッチではなかったけれど、そんな風なグループ展だったと思う。日本画だろうが何だろうがぐっと掴まれた感があった。私は大分ぼんやり見ていたのではないかと思う。その彼女の制作風景なんかをTVは映していて、技術的な事と精神的な事と持ちうる限りを尽くして描いているように私には見え。技術に偏るでもなく精神に偏るでもなく、精神を技術が超える事なく、けれども技術は持ってという私の理想とすべき描き方をされていると、勝手に思っているのだけれど。
その彼女が安楽寺の九相図をみて衝撃を受けたと、それなら私も見てみたいわと思ったら4月上旬しか公開していない模様。来年を待つか...
それにしても、九相図というのは人の身体の土に還る様が描いてあるのだけれど、簡単に言ったら腐っていく過程が描かれていて、それをさも嬉しそうに面白いと言ってみる松井冬子という人に酷く好感を持った。


蛇足だけれども、対談?していた社会学のおばさん阿呆だなと思う。変なというか気持ち悪いというか...有名になるという事は変なのにも付きまとわれる事なんだな。もう少しまともな人選んだらいいのに。