眠るタイプと目をつむるだけのタイプ

死んじゃうよ

これは...という素敵な、近頃で最も良い考えが浮かんだというのにメモをとるのが面倒だった為にすっかり忘れて、酷く落ち込んだ。しかし冷静に考えてみると、本当に良い考えが浮かんでいたのか?という事で文章にしてみたら全然大した事のないありきたりなものであったかもしれず、とすると大した事ないから忘れたのだとそう思うわけだ。しかし夢うつつに考えれば、あの時あの瞬間にわたしの曖昧な頭の霧がさっと晴れ、素晴らしく光が射し込みこれまでの自分でない様な脳の構造でもって素晴らしき美文を思い立った、とも考えられるわけだね。


そこで話しは変わるわけだけれども、考えや閃きといったものは文章で思いつくものか、イメージ画として浮かぶのか、映画のように音声つきであるのか、古いモノクロ映画のように文章と絵であるか、であるけれど。
どうなの?
わたしの頭の中で会議が行われる時は漫画の科白のようにしゃべりは吹出しで、説明は四角、若しくは地に書かれる事が多いのだけれども。発想であったり絵であったりは、どこか酷く小さな穴から覗いている様であり、その中に生き物がいて口をぱくぱく話している様であるけれど、内容については読心術を駆使するしか方法がない。文字にもならず音にもならないからだ。聞こえない、そして色のトーンが落ちている。だからきっと色のない絵を好むのだと、もっと素敵に見えれば色も付きやすくあるのにと思うのだ。


で、更に話しはかわるけれども、わたしは天才になりたかった。なれるものなら今からなりたくもあるのだけれども、天才は天才だとか意識しないという事を知ってしまった以上、今更必死に忘れようにも忘れられない。天才になる為に、努力をしない努力をしてみたりもしたけれど、努力しないようにしても多少努力してしまうのが凡人であって、木偶の坊にわたしはなりたいなんて心の底から思える人はやはり天才であるなと思う。天才になどなろうとせずに心ゆくまで努力したら、今頃秀才くらいにはなれたんじゃないかと思う。