期待して待つならば


4月末迄に描き終わろうと思っているが、終わるかな…

馬鹿にされる要素が多いのだろうし、馬鹿にされるだけの理由があるのだろう。わたしの見方が捻くれているとすれば、見方でなくて「馬鹿にされている」という表現が間違えているのだろう。的確な言い回しが見付からないのでこう表現しているのだが、相手方はそのつもりも意識もあるまい。けれども、馬鹿にしているとしかわたしに思えないのだから、捻くれていると言われようともやはり、馬鹿にされている。間違いなく。
わたしは、前と後ろにひとつずつ顔があるんじゃないかと思える。この馬鹿にされた感覚に腹を立てながら各種の事に向っていく。で、忘れたりする。が、忘れなかったりもする。短気でもあるが、細部までイメージした素敵な小瓶に怒りの玉を(これもしっかりと作り上げる、頭の中で)溜めに溜めて暴発させる事もある。大抵の場合、小瓶に玉、その置き場所、匂いと温度などなどを考えている内に愉しくならないまでも面倒になったり、そもそも何の為の部屋で瓶だったか忘れる。という訳で、春はどうしてもむっつりと気分が鬱いでしまう。