理想というやつが

理想としては同居人には作家でいて欲しく、わたしは絵描きでありたい。他の様々な肩書きが全部なくなろうと作家が作家でさえあれば、わたしは彼を嫌いになる事はなかろうと思う。
絵本制作に手をつけたのは2006年あたりであって、でもそれは原稿をプリントアウトした日付であるので「作りましょうよ」「そうしましょうよ」となったのはもっと前だ。「3年かかるかもしれない」と涙目になったものだけれどもあっさり3年経った。2年程放置してあると言って過言でないのだけれども、それはわたしの絵の進まないせいもあり、関係性の変化によるものもあり、まぁつまらない色々があるのであって。そりゃもう特にあれって事もないありがちな話しだ。


わたしは理想を持っていて、その理想の凝り固まった、自慰行為に近い本を作る為に共倒れてくれる人を捜していて網にかかりやがったのが作家だ。
作家捕獲後、絵本を作るにあたり色々盛り上がっていたのが1年くらい。当初、自然消滅だけは絶対に避けよう、安易な妥協も絶対に避けよう。という約束を交わしていたはずであるけれど、蝉の大量虐殺が過去の事となっちゃいないだろうか。


読み返したんだ、原稿を。やはり本作りをしなくては勿体ないと酷く思う。だって面白いんだもの。ついでに、絵も素敵なんだ。わたしは絵を描くべきであるし、作家は作家であるべきで、同居人であるべきではないんだ。という事を思う。



山口瞳の酒食生活を読み、北大路魯山人を読み終える。
トルーマン・カポーティ中井英夫amazonにて購入。