雲が流れる

素晴らしい勢いで雲が流れる。このままもう全てリセットして二度と誰にも会わないように出来たらどんなに素晴らしいかについて考える。けれども、平等に、会えなければどんなに後悔するかについても考える。どちらにせよ、大して良い結果は得られない。砂丘で拾った枯れて落ちた植物の頭を眺めながら、絵を描く。思いの外手は順調に進み、これでいいのか悪いのかなんて事はどうでもいい事だと思う。ただ大声で歌ってみたり等しながら愉しげに紙面を埋めていく。朝、昼と暮らして夜になると必ず左肩が痛む。これは目の疲れのせいだとほぐしてみたりなどして朝、昼は暮らせるのにやはり夜になると痛む。何か憑いているのではないかと疑ってみたりもするけれど、それはそれで恐ろしくなければ我慢できると思う。左目の見え方が明らかに鈍くなっている。眼科にでも行くべきに違いない。医者は嫌いだ。何も言わないので分からない事がたくさんあるという当たり前の事を再確認し、けれども、言葉にされたところでやはり分からない事が山程ある事も当然知っていて知っているはずの人間をまた分からないと思って、分からない事だらけよりも独りきりでいれば、私は私以外の事を分からない分からないと思わなくていいので楽ちんだなと思う。市内の北の方、山の裾辺りの環境がとてもいいなと思って、ここに家を借りたらいいなと思う。来年も再来年も京都にいるかどうか分からないので祭りを出来るだけ見ておこうと思っている。五山送り火は雨が止み家の屋根に這い上がって見る事ができた。鴨川まで行こうと思って出かけたのだけれど、あまりの人の多さに燃え尽きるまでに着かないのではないかと思って、急いで帰り、もう一度屋根に這い登って、もうひとつの「大」の燃えるのを見た。最初の「大」は燃え尽きかけようとしていた。
何かの印かもしれないと思って、枕をひとつしまって眠る。大きく深呼吸してから眠った。よく眠れた。