事後報告

目玉をえぐるような事をしたいと思った事はあるだろうか?気持ち悪いれど感触が忘れられないような内臓の滑りみたいなものがある。少し汚れるならこの際、もっと汚れてしまおうというような。気分は落ち着くけれど、そこから這い上がるのが億劫にもなる。どうしてここじゃいけないんだ?と思う。
稀にだけれど、自分の境遇の安全さをいけない事のような気持ちになり、例えば、足を失った子供の映像を見たり、顔中火傷の子供の写真を見たり、これは人なのか?と疑ってしまいたくなるような赤ん坊のホルマリン漬けの画像を見たり、それが殺し合いのとばっちりのせいであったりした時など、安い正義?偽善?何だかそういう胸のむかつく様な感情から、それを安易に可哀想だとか思ってしまう己、そしてまた文字にしてしまっている己が、その割に何一つしないで、現地に行く訳でも、やろうとすれば出来る事をするのでもない自分を地雷の一つでも撤去して役に立てと思う。けれど、やはり何もしない。で、やはり今日も明日も何もしない。だったら、奇形として産まれた人間をもっと深く観察してやろう。もっと、人間の悪の部分を書いている、描いている文章を、絵を見てやろう。もうすでに、色々な事を無視出来なくなってしまっているのなら、その上で考えるよりも面白がってやれと、もっと鬼畜になってやれと、そうしてこういう事をわざわざブログ何て言う相手の見えない逃げ場のやたらある場所に書いてやれと。これで私は懺悔でもしているつもりなのか?自分の抱えきれない、そしてやる気のない物に何か名前でも付けて安心しようとでもしているのか?私はもっと狭いとても視野の狭い事で頭がいっぱいで所詮どこか遠くの殺し合いの事なんてちっとも身近に感じていない。けれどもそれを言ってしまってだから何にも思わなくていいのも知らなくていいのもこれもまた、自分の為にいい気分じゃないから、グロテスクと言われる物を自分の回りに寄せようと躍起になっている。グロテスクをグロテスクと感じない様に。それは真っ向から目を背けないのと違う。ただ、慣れておこうとしているだけで、全く何の解決にもならない。
死体と身近になれば、無感情になれればいい。身近な人間の身の上に降り掛かるかもしれない事すら実感できないんだ。感情や心などという不安定で不確かな物より触れるものを、ただただ美しいだけのものの方がいいじゃないか。
真実の善悪はどこにあるんだ?どこかにそういう本だとか絵だとかないのか?私にそういう事を教えてくれる人はいないのだろうか?どちらにせよ、表面をひとなでする位しか出来るはずないのだから、もう一切の「その他」の事は諦めるべきだ。随分前に諦める準備は出来ている。後は実際諦めてしまえば終い。