豚の位置

先日、同居人が好きだというFENNESZが京都メトロという場所で演奏するという事で、ついて行った。後々、FENNESZという人のプロフィールを読んで、随分前に同居人に貰ったCDの人だと気付く。
久々の人混みのせいか、お腹が空いていたのか、折角良い位置に居たのに始まって数分で貧血の兆候が現れ、照明の具合でなく明らかに視界が狭まっていき焦る。倒れちゃいかんと思い流れに逆らって外へ。再度戻り、音がダイレクトに身体を通過する感じを心地良い様な、拷問に近いような複雑な気持ちで聴いていたのだけれど、胃にくるような音から耳にざわざわするような音に変わった所でまた、倒れると思い脱出。血の気が引く音に似ていたんだ。本命のFENNESZは後ろの方で見た。途中でうろうろすると迷惑だしと思って。ずっと吐気を抑えつつ見ていたので、いいも悪いも無いのだけれど、衝撃だけは残った。こういった音と拷問が脳内で直結しませんようにとだけ思う。
今度は是非体調万全で見たい。でも、体調良かったはずなんだよな。人混みが駄目なのか?今まで平気だったけどな。音も平気だと思うんだけどな。朝、ジョギングという名の徘徊をしてみたりしたからかな。お腹空いてたのかな。
帰宅後、耳鳴りが凄いでしょと言われたけれど、どれが耳鳴りなのかよく解らないと思う。このキーンという音が耳鳴りならば、しょっちゅう耳鳴りになっているんだな、私は。最近、人の話し声はあまり聞こえなくなったけど。


不快感を形にした生物を描こうと思い、明確な形を探しに行くと、過剰な美しさに似ていると思う。美し過ぎると眼を背けたくなるものなのかもしれない。書いていてちょっと変だけれど、絵は、作り出すのでなく発掘と同じ様な物だと思う。ただ、こういうものが欲しいと思って探すので、何が出て来るか分からない発掘と違う。けれども、発掘だって予想の上で掘るのだからやはり似ているのか?