空白

空っぽになる。けれど、空っぽならば詰め直したらいいじゃない。重くなる。重過ぎたら吐いたらいいじゃない。五月蝿くなる。理想を掲げたらいいじゃない。
理想、理想、理想、と考えて、理想がなんだったかと盲になっちまったかと不振。見えているけれど見えていない。目指す物が虚偽だと訴える。しかし、一体誰に?俺にか?と過去が勇ましく飛び出して、吃驚して殺しちゃう。蚊みたいなものかと思って。潰れて血を吐く過去は、けれども消滅しない。
理想理想理想理想理想、と考えて具体的「欲」を浮かべる。浮かべるだけ浮かばそう。ぷかぷかと呑気に浮かんだそれらを壊してやろうと画策。しかし、何一つ浮かばない。充実した生活。満足な生活。平穏。安らぎ。切り裂きたいのは自分の腕か。心臓か。肺か。
理想理想理想理想、理想、具体的理想。抽象的なものは見付け難い。目標にし難い。具体的理想。場所、私はここにいたいのではない。けれども、あそこにいたいのでもなく、あっちでもなく、ただ行った事がないところを埋めていって。間違いなくそこに立てば、ここが理想だと解る。それは、具体的でない。ちっとも。具体的理想には金が絡んで今の気分にちっともそぐわない。
何が欲しい?と問われて何も思い浮かばない。どうにでもしてやるよ?と言われて何も思い浮かばない。私が充足しているのではなく、欲を欠いている。
カフカ。前に進めなければ座り込んで後ろでも向いていたらいい。過去をぼんやり眺めて、ろくでもないなと思って、おもむろに歩きだしたらいい。カフカはどうなりたかったのか?私は解答を探している。カフカはどう思ったのか?私の探している解答について話し合ったりしてみると、非常に単純でどうしようもない答えが簡単に出る。それは話し相手が別の人間で別の思考を持って別の世界で生きて別のものを目に映しているから。私の抱える問題を相手に伝える事が難しいから。頭の中で単純な図解ができ、もっと翻訳されて図を省き、更には目の前の相手に解る言葉に翻訳され、一体本質はどこへいったのか?と言った言葉が残る。解答は簡単に見付かる。
恋人と同じ人間になりたいと思う。一つの人間に。ドロドロに溶かして空の人間に入れておいてくれたらいいんじゃないか?同一の風景を見て、同一の嫌悪を感じ、同一の絵を描いて、同一の孤独を味わう。しかし、チョウチンアンコウ的な同一の方法もいいと思う。
意味が欲しいと思うのは一体何故か?自分のやっている事に意味が欲しい思うのはどうしてか?意味があれば肯定され、意味の無い事は否定されるのか?説明が必要だろうか?絵を描く事が手段であるならば、その後完成したそれは何なのか?共感を得たいのか?自分である証拠か?感情の吐露か?表現、何の為にするのか?意味が必要だろうか?意味が欲しいと思うのは当然か?
暇だから。