久しぶりに会うと照れちゃって上手い具合にしゃべれない。もっと強くありたいと思って不用意に人を貶める。悪気ならば両手に抱えられぬくらいにあったので、結果には満足している。幸せを求めると素直に言う彼女を目の前にして、何だか無性に謝りたいような気持ちになり、どうぞ私を蔑んでくれと…これは決して開き直っているのでなく、思う。どうやら、考え方に問題があるらしいと、ことあるごとに他人に、多くの他人に、説得されたけれども、私の聞く耳の無さったらない。愉しそうに笑っていたのに心の中では唾を吐く。私を理解してくれる他人がいないかと必死に探して、そして私に与えてくれるばかりの他人がいないかとまた必死に探していて、いつでもがっかりしていて、要するに自己中心的で他人に優しくない。理解して欲しいのにその努力はしない。他人の話は面倒以外の何者でもないのであれば、私の話もまた面倒以外の何者でもないはずだ。

自分事は、常に自分で解決していかねばならない。日々解決しなければならない事があり、口で説明する程に劣化する私の不安。ある日とてもくだらない不安を抱えて、くだらなくも現実的不安を抱えて、その不安を後回しにしてしまう幻想的な強さがないので、臆病である事を恥ずかしいと思わずに解決策を嗅ぎ回る。相変わらず二重三重の壁を張り巡らせて小さな穴から表を監視し、皮膚を覆い隠す着物を着、色々な事に鈍感になっている。


ドリコムブログが無くなるそうで、ライブドアに移行しなくてはならないのだけれども、人間関係が変わり、場所が変わっても、私を理解してくれる人はいないのか?と相変わらず探している節がある。人間を心底理解できるものではないとも思っているけれど、何処かにいるはずだろうと懲りずに探しているらしい。らしいというのは、私の疲れた時の妄想テーマが主にこれだからである。