目線の上顎の下

告白

告白

面白いという表現は誤解を受けそうだけれど面白かったよ。さくっと読めたし。重い重いと聞いてはいたけれど、その辺りはこれだけ巷で話題という事を加味すればこの程度だろうと思う。


美意識、わたしは美しい絵を描こうと思って描いている。可愛らしい絵を描こうとも思ってもいる。グロテスクなものを美しいと思う。人体の部分を可愛いと思う。甲殻類の骨格の重なりが美しいと思う。人の柔らかさが美しいと思う。荒廃した建物の恐ろしさと美しさは似ているように思う。美しい人間の腹の中に糞が溜まっている事を思い出して欲しいと思う。若しくは、忘れない様にしようと思う。同時に、不細工な汚い奴の腹の中にも同様に糞が溜まっている事を忘れない様にしなくてはと思う。内臓のてらてらした美しさは外見上の特徴に影響されないだろうと思う。では外見は関係がないかと言えば、それは、美しい方がいいに決まっている。美しい物が内包する汚い糞の方が、汚い糞が詰まっていそうな奴の内包する糞よりも価値があるような気持ちがする。しかし、糞は糞だ。これは、どこ出身の糞ですという情報がなければ糞は糞だ。けれども、わたしには感覚や感受性や兎に角、感じて考える器官、というモノが少なからずあるので美しいものと糞の対比の可笑しさや馬鹿馬鹿しさや臭気なんかの方に興奮するに違いない。ここでひとつ、糞に興味がある訳ではない。もちろん。
必要があって、イラストレーター集まったサイトを見ていたのだけれど。どれもこれもさすがにプロであって、こちらの好みはこの際どうでもいいのだけれど、それなりの需要がある、それぞれに特徴がある、何よりも山ほどいる。絵を描く人間が。それで、この中に今更自分が、わたしも絵を描きますよと入っていたところで需要はないんじゃないかしら?と思う。それこそ、頼んだら頼んだ以上に依頼者の意図を汲み取った絵を数時間程で仕上げてしまう人がいるのに。時間はかかるわ、描けない物は多いわの人間に何を頼むのか?ネガティブな考え方に捕らえられている訳ではなく。私が仕事を頼む人間だとして、第三者として思った事である。つまり、明るいところ、王道を歩こうとするのは難しいのではないかと。今更?とか思われるとアレだけど。
纏足はどうやって廃れていったのか?そんな簡単には捨てきれない美意識ってものがあったのではなかろうか。纏足に限らず文化ってものは色々と裏もあるのだろうが、心底美しいと思って陶酔していた人がいない訳はないような気がするのであって美意識に忠実に生きようと思うと善悪とか習慣とか人道的なんとかとかいかにも面倒くさそうな事があるのだけれども。
もしかしたら少数派に含まれるのかもしれないと、とは言え、美意識を追求して何が悪い?って悪くないけれど食いぶちには繋がらないと、けれども食いぶちとしての成功を私は収めたいととちょっと思っていて、それじゃ美意識は捨てますか?って事になりそうで、そもそも何でもいいが大多数であってその大多数を嫌悪しつつもそこで私の存在を意識して欲しいという矛盾というか甘えと言うか馬鹿馬鹿しさというか、まー馬鹿だな。なんだかんだ理屈をこねたところで、自分以外の他人ありきの自己であるからその辺は仕方ないのかもしれないけれども、何もかも、私は他人なんて関係ありませんからというのでもない、思った事を思ったままに文章にしていくとなんて解らない文章になるのだろうかと思うのでもうやめとこう。