昨日の晩はラーメンを食べた

昨日は仕事があって、どうやら自分が見下されているようだと感じ、それは以前も来た事のある客にであって、色々気が回らなかった自分が悪いのだけれども認めたくはないが見下されていると解る。それにしてもえらい人に見下されたもんだと思ったけれど、会社にいる若者にもどうやら見下されているらしく感じる。何をどうしたら見下せるのか?と偉そうに思ったりもするけれど、これも見下されていると解る。何故かは解らないけれど、よく見下される。小学校や中学校の時は単純に気付かなかったのだけれど、高校生の頃にこれは…と思ってよくよく考えると「友達」とか言う人にも見下されている場合が非常に多い。勉強の出来不出来だとか運動能力の良さ悪さだとか以前の問題で、「存在」に於いて「自分の方が優位だ」と思われているようだ。聞いた訳じゃないけれど。聞けば「そんなことない」と言われるだろう。見下されてはいても、嫌われている訳じゃないようだ。けれども、気付いてしまってはこちらも非常に居心地が悪いのであって、まともに付き合おうという気持ちになれない。しかし「今日からあなたとはゼッコウです。だって見下しているから」とか言えないでしょ?言った所で「被害妄想の強い人」扱いだ。だから、もう無言ですっと居なくなるのみで私の人付き合いの悪さってのはそういうところからくるんじゃないかしら?と思う。

見下されているのは非常に気分が悪いけれども、私自身は見下されるような人間でないのかしら?とふと思い、そう考えると、訳の分からん奴に見下されるような職場で金をもらい、誰からも好かれないような絵を描いて、それで絵描きですとか言っちゃって、なんか浅い知識でもって私というものをコーティングして、もっと馬鹿馬鹿しい汚らしい狭い場所にいるべきなのに太陽の下に出て行こうとしちゃって、それじゃ干涸びちゃうだろうよと解ってはいるけれど、小難しい事を並べ立ててそれっぽく見せる。これではいつまでたっても真に好きな物に首すら突っ込めない。真に好きなのは多分汚らしくて狭くて壊れた場所であるので、むしろ見下されてなんぼな感じであって、つまり、木偶の坊にわたしはなりたいって、そういう事か。

同居人にも見下されている気がしますと言う事を書くと同居人が気にするかもしれないので深く追求しない事にした。